亀戸には、「スポーツ振興の神」として有名な 亀戸香取神社があります。
今やご利益の噂を聞きつけた方が各地から参拝に訪れる、亀戸が誇る神社です。
ですがもちろん、最初から「スポーツの神」だったわけではありません。
1350年以上もの歴史がありながら、どういう経緯で「スポーツの神」として広まっていったかご存知でしょうか。
「スポーツの神」を提案されたのが、まさしく現 宮司の香取さんです。
戦後から今年2020年のオリンピック・イヤーにかけて、宮司として見てきた亀戸香取神社について、またこの街 亀戸について、お話を聞いてきましたのでその内容をたっぷり紹介します!
目次
亀戸香取神社とは?元々は「戦の神様」
御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)で、威霊優れた国家鎮護の神として仰がれる我国武将の祖神であり、産業の祖神でもあります。
創立には、かの大化の改新で活躍した藤原鎌足(614-669年)が関わっています。
香取神社は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。
(※亀戸香取神社 公式サイトより)
「戦の神様」その由来とは
ここからは、宮司の香取さんが詳しく話してくださいました。
そして、めでたく平将門を破って平定したということで、お礼参りに来られます。
その俵藤太秀郷というのは、当時の弓の三大名人のひとりで、このとき自分の大切な弓と矢を奉納します。
それを「勝矢」と命名しました。
他の神社では御神矢、お寺では破魔矢といいますが、ここ亀戸香取神社で「勝矢」と呼ぶのは、ここに由来しているそうです。
☞1000年の時を経て今も「勝矢祭」が守り伝えられています。
☞多くの武道家達の篤い崇敬を受け、武道修行の人々は香取大神を祖神と崇めていました。
(※亀戸香取神社 公式サイトより)
このように戦いに勝つ「戦神」として、亀戸香取神社は伝え続けられていました。
「勝矢」から来た「勝守」
ちなみにこの「勝守」は、「勝運袋」とは別物です。
「勝運袋」とは、境内にある白石を参拝者が拾って清め、中に入れてから、それを本殿で願いこめるものとなっており、大変縁起が良いものとされています。
詳しく知りたい方は、以下のサイトをご参考にしてください。
「スポーツの神」誕生秘話
これからの「戦い」はスポーツなのでは?
「戦の神様」からどのように「スポーツの神様」につながっていったのか、その背景を教えていただきました。
それは、さかのぼること昭和50年頃のこと…。
ちょうど3人が先頭争いをしていました。
その接戦を見て、ふと思ったんです。
「これ、気持ちで負けたら置いていかれちゃうな」
そして、発見したのです。
相手との戦い。自分の心の戦い。
スポーツも戦いなんじゃないか。
ということで、早速 先代の宮司に提案。
と提案したところ、
「いいんじゃない?」
となったそうです。
これが、スポーツの神様として世に浸透する始まりでした。
すさまじいメディアの宣伝力
「スーパーJチャンネル」がたまたま香取神社に来たんです。
そのときに「スポーツの神様」としての話をしたんです。
そして、その放映日の翌日。
「孫がスポーツをやるんで勝守ください、昨日テレビで見ました」と。
そういう人がどんどんどん押し寄せて来て、
1個ください、2個ください、3個ください、って。
なんと、通常半年もつはずのお守りのストックが、わずか5日で底を尽きたそうです。
足りなくなったお守りも、あの手この手で対応し、遅れはしたものの無事にすべての参拝者の方に送り届けたという話は、本当に忙しかったことを裏付けていました。
いまなおメディアに取り上げられる亀戸香取神社。
数年前には、東京の全チャンネルを制覇されたそうです!すごい。
実は、有名人もここに必勝祈願に来ている!
有名なラグビー選手やいま話題のゴルフ選手のご親族や知人の方が、代わりに参拝に来たりお守りを託したり。
お礼参りでの報告で、宮司さんのもとに朗報が届くことも結構あるそうですよ!
実は、中学高校と長距離の選手だった宮司さん。
子どもの頃に一通りのスポーツの経験があり、いまでも走ったりスポーツを見たりするのが好きだそうです。
さすが、亀戸香取神社 の宮司さん!
なので、こうした「良い成績をおさめました!」というお知らせはうれしいと話されていました。
地域を支え、支えられている亀戸香取神社
きっかけはオリンピック?ではなく東京スカイツリー
亀戸3丁目には、亀戸香取神社、亀戸天神、江東天祖神社の3つ有名な神社があります。
いま、スカイツリーがあるから。
亀戸にもぜひ来てもらうためにも、神社同士が提携していかないと!と思っています。
実は東京スカイツリーが完成する前から、さらなる協力の話があったそうです。
これを機に、いっそうまとまるきっかけになったそうです。
実は戦前から仲良しな5区
墨田区、江東区、足立区、葛飾区、江戸川区の5区(神社庁でいう第4地区)は、実は戦前から仲が良いそうです。
懇親会や、お手伝いも相互でやっているそうです。
外国人も注目!亀戸香取神社の「勝矢祭」
外国の方の参拝も増えそうですね。
なんと!これには驚きでした。
すでに外国の方も結構訪れていました。
「サムライ・パレードだ!」
って盛り上がっていたみたいです。
特に今年は増えそうですね。
地域に支えられて、いまの亀戸香取神社がある
ここまでのお話で、たびたび話題となるお店がありました。それが
亀戸 升本(ますもと)です。
亀戸を代表する老舗割烹料理の升本さん、実は、
ご祈祷にいらした人や企業参拝、七五三などのお宮参りでお渡しする「勝運まんじゅう」をご提供いただいているのです。
https://www.facebook.com/kameidomasumoto/photos/a.164702853636977/2993242640782970/?type=3&theater
ちなみにこの「勝運」というのは、亀戸香取神社の参道に続く「亀戸香取勝運商店街」から来ています。
そんな背景に、宮司 香取さんはこう話していました。
そして、一番印象に残っている言葉。
街が良くなれば、お参りに来る。
相互関係、これが一番大切ですね。
最後に
東京2020で伝えたいこと
下町情緒っていうんでしょうか。
山の手にはないですよね。
戦前もね、「お醤油かして」「お米かして」
そういう世界ですね、下町っていうのは。
そこがやっぱり下町の良いところですね。
神様は絶対じゃないんでね、自分たちの力を信じなさい。
自分の力じゃどうにもならないときに、神様を頼るというか、思い出しなさい、と。
そうすると、神様も微笑んでくれるんじゃないのかな。
それが真実だと思います。
我々ができることは微力。
自分の力をまず信じてほしい。
編集者より
宮司さんとお話するなんて人生初!の経験でしたが、とても話の弾む時間で、ここに書ききれないほどたくさんのことを教えていただきました。
「スポーツの神 亀戸香取神社」として、特にここ9年間は慌ただしい日々だったんだと実感しましたが、それでも宮司さんから出てくる言葉は、街への感謝。
その想いが、今日までの亀戸香取神社の歴史をつなげる神髄なんだと感じました。
大変貴重な時間でした。
これを機に、亀戸香取神社はじめ、皆さんの近くの神社により親近感をもっていただけると幸いです。
亀戸香取神社の公式サイトには、参拝時の作法などが詳しく載っていますので、ぜひ参考にしてみてください!
これで、今後の参拝はバッチリですね。
亀戸ニュースとして取り上げて欲しい情報を募集しています。
もしありましたら、TwitterなどのSNS、またはお問い合わせフォームにてご連絡ください。
※必ず載るとは限りません。あらかじめご了承ください。